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宮城県の食事情とそのルーツを探る

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米の一大産地として知られる宮城県。日本の食を語るうえではずせないひとめぼれやササニシキを生んだ地だ。米だけではない。太平洋に面した石巻や気仙沼、塩竈は全国有数の水揚げ高を誇る漁港で海の幸にも恵まれている。また最高ランクを誇る仙台牛の存在も見逃せない。近年の大災害に見舞われた後も、その品質を守り続け発展を遂げている宮城の食材の底力を宮城の歴史とともに紹介しよう。

●米作りで国作り

1600年に起きた関ヶ原の合戦で徳川家康が天下をとった翌年、伊達政宗を藩祖とする仙台藩が誕生する。政宗はさっそく新田開発に力をいれ、米を江戸に送り込んだ。当時、ロンドンに次ぐ人口を有した江戸。そこで食される米の7割が仙台藩から送り込まれたものであったというから政宗の手腕の高さが伺い知れる。また、政宗の美食家という一面は、将軍家をもてなした饗応をはじめ料理への細やかなもてなしとこだわりをみせ、国の繁栄に一役買っていたという。

●宮城に根付く味

米どころが生み出す酒、日本酒の存在は大きい。酒をこよなく愛した政宗が、発酵させただけの白く濁ったどぶろくしかなかった宮城に、奈良から職人を呼び寄せ今の清酒に近い澄み酒を造らせたという。また米に次いで大豆が多く採れたため、米麹と大豆で作る辛口の赤味噌の仙台味噌が生まれ、今に至るまで長く愛されている。仙台味噌は豆を煮るのではなく蒸して作るため、豆の旨味を感じられる地元の味だ。東北という土地柄から保存がきく、塩味が強い味付けが全体的に多いという。今回、伊達家18代目の当主である伊達 宗さんからは、炊きたてのご飯に日本酒をかけ、少しの奈良漬とともに味わう食べ方を教わった。地元の食材を愛しているがゆえの贅沢な食べ方ではないだろうか。

●復興を糧にした400年前の宮城

1611年、三陸に大津波が押し寄せ沿岸部は甚大な被害を受けた。伊達政宗による新田開発が軌道に乗ってきた最中の大災害は、人々に大きなダメージを与えたことだろう。しかし政宗のもと、起死回生をかけて治水工事に力をいれ、田地の塩抜きのために作った堀は運河となり、江戸へ米を運ぶ際のインフラの礎となったのだ。ちょうど近年の大震災の400年前に起こった、復興から始まったと言っても過言ではない宮城繁栄の物語は、今に大切に語り継がれている。

 


▲伊達家伯記念會 伊達遊学舎 仙台伊達家十八代当主 伊達 宗さん
伊達政宗の血を受け継ぐ、18代目の伊達家当主。大河ドラマ「独眼竜政宗」の監修をはじめ、伊達家ゆかりの歴史遺産等の修復等も手がける、歴史の専門家。